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練馬区にあるのに、「としまえん」が豊島を名乗っていい正当な理由

 


「ここで訂正とお詫びがあります。先ほどのニュースの中で、豊島区にあるとしまえんとお伝えしてしまいましたが、正しくは練馬区にあるとしまえんでした。訂正してお詫び申し上げます。」

練馬区なのにとしまえん

ニュースでも所在を間違えられる「としまえん」

先日、としまえんが廃園になるというニュースが流れた際、テレビやラジオで1日のうちに私が3回も耳にしたフレーズです。それだけ、世の中の人には、としまえんが練馬区にあるという認識がないということなのでしょう。

もしかしたら、千葉県なのに東京ディズニーランド、という話しと同じような印象を持たれているのかもしれません。なんてことを書くと、練馬区の施設がディズニーと同列なんて厚かましいと言われてしまういそうですが。

ちなみに、成田国際空港は、かつて新東京国際空港と名乗っていましたが、いつの間にか東京を名乗らず、成田国際空港が正式名称となったのですね。なんてことを書くと、ねりまえんに名称を変更しろ、なんて言われてしまうかもしれません。

しかし、としまえんが、温水洋一さんのポスター「冷やし温水」以来、久しぶりに注目された今、練馬区民としては、声を大にして言いたい!「としまえん」こそ、豊島を堂々と名乗っていい理由があるのです。いや、むしろ、この場所こそ、豊島の中心なのです!と。


豊島を名乗っていい正当な理由はハイドロポリスにあり

少し、歴史を紐解いてみましょう。


豊島という名称は、7世紀、大和時代のころから使われていたとされています、名前の由来は、かつてこの場所は、東京湾が入り組んでいて、多くの島があったからとされています。

やがて、鎌倉時代から室町時代になると、豊島氏という武蔵国の名族がこの地域一帯を納め、勢力を拡大していきます。現在の練馬区、板橋区、豊島区、北区あたりが該当します。石神井川流域ですね。


そして、現在、としまえんがある場所は、その豊島氏が持つ城があった場所なのです。


それこそが、としまえんが、豊島を名乗っていい正当な理由なのです。

ちなみに、ハイドロポリス(ウォータースライダー)は、城跡の高低差を利用して作られています。ハイドロポリスこそ、豊島の中心なのです。(言いすぎ)


練馬区の「照姫まつり」に繋がる豊島の歴史

豊島氏のその後についても少しふれておきましょう。室町時代後期になると、太田道灌が勢力を伸ばし、江戸城を築城し、豊島氏の領内に侵攻しました。1477年、豊島泰経は、太田道灌と、江古田・沼袋原の戦いで敗れ、石神井城へ逃れますが、石神井城も落とされてしまいます。

この時、豊島泰経は白馬に乗りながら崖から飛び降りて三宝寺池に身を投げ、照姫という美しい娘(次女)も、父を追って三宝寺池に身を投げたという伝説があります。

練馬区では、この伝説に基づき、毎年、照姫をしのんで、「照姫まつり」を開催しています。照姫まつりでは、豊島泰経、照姫、奥方の三役が、毎年、公開オーディションで練馬区民の中から選考されます。

照姫まつり

練馬区民としては、いつか、大河ドラマで照姫を主役として描いて欲しいと切に願っています。

 
としまえんも、豊島区も、北区豊島も、皆同じ「豊島」

ところで、豊島区は、北豊島郡下にあった巣鴨町・西巣鴨町・長崎町・高田町の4つの町が統合されたものだそうですが、区の名称をつける時に、この郡の中心にあたる場所として、豊島を名乗ることに決めたそうです。

かつては、城のあった練馬区が豊島の中心だったはずなのですが、いつの間にか、今の豊島区に中心が移ってしまったということなのかもしれません。寛容で謙虚な練馬区民としては特に文句はありません。練馬区民は、埼玉県民と共に、豊島区にある池袋にはとてもお世話になっていますから。

また、北区にも、豊島という地名が残っています。こちらも、由来はおなじ豊島氏です。北区豊島には、豊島清元のお墓があります。

練馬区のとしまえんも、豊島区も、北区豊島も、元をたどれば、同じ「豊島」なのです!

今後、としまえんが廃園になってしまうのであれば、ぜひ、この場所に、豊島氏の城を再建して欲しいと思っています。東京都内にお城があったら、相当な観光スポットになると思いませんか?そして、いつか大河ドラマを!

 

アトリエ橙

 

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